健康食品分野への挑戦
ロフティは、平成11(1999)年に健康茶「優美健茶」、平成12(2000)年に「にんにく卵黄」(現商品名「えがおのにんにく卵黄油」)を発売する。
健康食品分野への進出の是非をかけた「にんにく卵黄」は、長野県で栽培していた無臭にんにくを原料に、高品質のローヤルゼリーを配合して開発された。健康食品業界では、どこも商品化に成功していないロフティのオリジナル商品であった。
当時の経営方針について北野は、「アクセサリーの企画商品を取り扱っていて感じたことですが、やっぱりそれではお客様とのご縁が1回で終わってしまう。やはり、ご縁を大切にしたいと考え、継続できるものは何かを考えました」という。徐々に健康食品が国内に現れ、市場も形成されつつあったが、まだ、日本では健康食品という分野に対する関心が薄い時期であった。その状況を見ながら、「健康づくりのお手伝いも提供できるし、お客様とのご縁も大切にできる」という想いが、「優美健茶」と「にんにく卵黄」の商品化を後押しした。
こうして、ロフティの将来をかけて市場に投入した自社商品だったが、テレビショッピングでの反応はあまり芳しいものではなかった。当時の日本は、健康食品ブームの到来までまだ時間があった。北野には、日本にも健康食品ブームが近く訪れるという経営判断があったものの、業績に直結するまでには時間が必要であった。
当時は、北野を含めて社員数6名という少数精鋭でロフティは動いていたが、その後社員数は目に見えて増えてくる。業務拡大を牽引していく人材が次々入社することで、飛躍への土台づくりが進んでいた。
健康食品の将来性を確信
平成13(2001)年、ロフティは、「深海鮫生肝油 スクアレンゴールド(以下スクアレンゴールド)」の販売に踏み切る。現在の「えがおの肝油鮫珠」の誕生である。北野は「当時、国内には低価格で提供できる鮫肝油商品はなかったが、体に良いというのは分かっていました。そうであるならば、良質な商品を提供できれば、必ずお客様にアピールできるという確信がありました」と話す。
「高くても優れた商品ならば、お客様には買っていただける」との確信はあったが、市場の反応から、「価格が高いと当然お客様には喜ばれない」ため、良質で低価格の鮫生肝油を世界中で探し求め、全国展開への足がかりを築いた。
「人が困っていることに対して、困っているものをなくしてあげれば、需要が生まれるのではないか」というのが、北野の発想の原点であり、「スクアレンゴールド」は、その条件に合った商品であった。多くの人々が望んでいるものを見つけるという発想から、新たな商品が生まれる。そうすれば当然売れ、そして多くの人々に喜んでもらえる。「スクアレンゴールド」では、その発想が間違っていないことが証明された。